「電脳四方山話」 by にしだ わたる

Last updated 2002-07-26


Inferno の使命 2002/07/26

Inferno ファンの皆様お待たせしました、Inferno シリーズ第二弾をお届けします。Inferno は日本語で表現すると「地獄」ということになりますが、ベル研究所(正確には Lucent technologies 社)の連中は一体どうしてこんな名前を付けたのでしょうか?私も最初は単なる酔狂かと思っていたのですが、色々調べてみるとどうもそうではないようです。今回は、Inferno の世界観についてご紹介しましょう。

「バベルの塔 (Tower of Babel)」という有名な話がありますね。一般的には、「人間が天界を目指してあまりにも高い塔を建築してしまったものだから、神の雷(いかづち)に触れて瓦礫の山と化してしまった」という説話として知られているようですが、Inferno の背景を理解するためにはもう少し詳しい知識が必要です。

地獄の支配者 Lucifer は、神に対抗して新世界を築くために、バビロンに住むニムロデを操り巨大な塔を建設させた。これに対して神は、それまでひとつであった建設中の人々の言語を多様化させる知略を用いた。この結果人々は意志疎通を行うことができなくなり、混乱(chaos)がもたらされ、建設は挫折した。

もうお分かりの通り、Inferno は現代のプログラミング環境を「電子版バベルの塔」と見立てている訳です。C, C++, Pascal, Java, Perl, Ruby など、プログラマーの回りにはまさに chaos と言うべき環境が広がっています。プログラミング言語のみならず、通信に関しても膨大な種類のプロトコルが流通し、市場には大いなる混乱が生まれています。Peter Bernstein という人は、Inferno の設計理念をたった一行で明快に表現しています。

"Inferno is designed to take the chaos out of the electronic Tower of Babel."

Inferno は「コンピューター界混乱」の救世主として世に放たれた・・という訳です。正直、最初は「そこまで言うか?」と思いましたが、文書を読み進めていくと、「こりゃ、ホンマかもしれんなぁ」とはやくも信者になりつつある私です。<つづく>

英文技術文書の読み方 2002/07/18

以前、「カーネルの森へ」において技術英語のことを少し述べましたが、今回はその読み方について考えてみましょう。私自身は Time や News Week はチンプン・カンプンですが、本職やコンピューター関連の技術文書であれば、辞書がなくとも内容を把握することはできます。「英語」と聞くと尻込みする方が多いかも知れませんが、日頃仕事で耳にしている言葉の中に英語はかなりの割合で混ざっています。ですから、英語の専門用語(Technical term)さえ理解していれば、中学・高校生レベルの英語力で「和訳」は十分可能なのです。「一般英語に比べれば、専門領域の英語は思いの外簡単なのだ」、とまずは自己暗示をかけましょう。

次に大切なことは、「この情報が知りたい!」という情熱です。熱意さえあれば、必ず英文は読めるようになります。最近は翻訳書も豊富ですし、ボランティアーの手でオンライン文書が日本語訳されているケースも多々ありますが、苦労を惜しまず原文にあたりましょう。最初は1ページ読み進めるために1時間以上かかるかもしれませんが、継続すれば次第にスピードアップしていきます。日本のどこにも紹介されていない知識を、自分自身の頭を通して「直輸入」できる素晴らしさを体験すると、辞書を引く手間など忘れてしまうことでしょう。

もう一点大切なことは Comfortable English でも説明した通り、日本語と同じように英文にも「質」があるということです。ネットワークを通じて情報を検索していくと分かりますが、質の高い文書は海外の大学や企業のサイトで見つかるのに対して、個人が公開している文書は読みづらく情報価値が少ないものが多いようです。優れた企業の場合は、プロフェッショナルが書き下ろしているだけあり、思わず唸ってしまうほど完成度が高い文書を公開していることがあります(但し、文書の重要性を理解している企業に限ります)。また、欧米の大学では徹底した Writing の指導により、相当数の充実した文書群が生み出されています(残念なことですが、日本の大学や企業はこの「文書作成能力」が決定的に劣っています)。以上より、玉石混淆の中から優れた文書を選び出す能力が重要になってきます。

それでは、「偽物と本物」を見分ける眼力をどうやって身につければ良いのでしょうか?具体的な方法を述べる前に、技術英文の読解力には、4レベルあることを説明しましょう。

  1. 英文和訳 -- 中高校の英語教育で教えられるレベル。自動翻訳の延長であり、日本語にはなっていない。
  2. 日本語訳 -- 誰もが理解できる明快な日本語で表現できる。必要な場合は意訳を行う。
  3. 本質の抽出 -- 与えられた文書のエッセンスを一言で表現できる
  4. 知識の消化 -- 内容を自分なりに解析した上で、記述内容の取捨選択ができる

日本で販売されている翻訳書を始め、オンラインで公開されているほとんどの日本語訳はレベル1どまりのようです。これらの文書を読んでその内容を理解できなくとも、心配する必要はありませんし、不安を感じた時には原書にあたってみましょう。原文を読む方がスムースに理解できたりするものです。

レベル1とレベル2のギャップはかなり大きいようで、私自身レベル2相当の翻訳書は数えるほどしか知りません。これはきちんとした日本語を書けるだけの「国語力」をもった翻訳者が少ないことに加え、訳者には原著の内容を正確に把握できるだけの専門知識が要求される点にあります。超一流のテクニカルライターが書いた原著であれば、誰が訳しても明快な日本語になるのですが、大抵の場合は原著者自身が曖昧な表現をしている箇所が多々あります。この場合、訳者が原著者の意図を汲み取りながら、意訳する必要があるのですが、このような芸当は記述内容を完全に理解できるだけの専門知識をもっていなければ不可能です。でも、よく考えてみてください。英語力・国語力・高度な専門知識、この3つを併せ持つほどの人がわざわざ翻訳という作業に取り組むでしょうか?恐らく、自分自身で執筆する道を選ぶでしょう。日本で質の悪い翻訳書が大量生産される背景には、このような問題があるようです。

レベル2に達した方であれば「本質の抽出」はそれほど難しいことではないように思えますが、人前でプレゼンテーションする状況を考えてみましょう。大学の教室では通常、教室員の持ち回りで英文原著論文の「抄読会」を行っています。自分が興味を持った論文を詳細に読みこなすことはもちろん、関連する論文まで調べ尽くした上で臨まなければ、教授や先輩からコテンパンにやり込められます。面白いのは、たとえ論文の内容を同程度に理解していたとしても、プレゼンテーションによってその評価は大きくふたつに分かれてしまう点です。話にメリハリがなく、だらだらとまとまりのない発表をする人。ポイントを絞って、要点だけを簡潔に説明できる人。当然のことながら、将来の幹部補生として期待がかけられるのは後者のタイプです。

もうお分かりと思いますが、レベル3以降は英文読解という範疇を越えており、日本語文書にも通じるものです。どのような文書であれ、「読む」ことは比較的簡単です。しかし、その文書に書かれているエッセンスを一文で表現せよと言われれば、これはかなり難しい。日頃から文書を読むに際して、どこに重要点があるのか常に意識しながら読み込んでいくトレーニングが必要となります。分かりやすく表現すれば、「ツボ」を押さえることです。ツボが見あたらないような文書は、その場でポイして次に進みましょう。

本質を抽出することが出来るようになれば、いよいよ最終段階のレベル4です。このレベルでは、文書の中から情報の取捨選択が出来るようになります。「ここは今の自分に必要だからスクラップしておこう」、「ここは著者が間違っている」、「ここは自分であればこう発展させて考える」という具合に、知識を消化した上で確実に自分の血と肉にできる段階です。ここまで辿り着くことが出来れば、自分でも驚くほどのスピードで知識が身に付いていきます。

さて、問題はどうやって自分のレベルアップを計るかです。個人一人ではレベル1、もしくはレベル2まで達するのが精一杯でしょう。間近で「ここが読み足らんぞ」、「そんなことは書いとらん」、「嘘言うな」、「お前だったらどうするか」、などと矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくれる厳しい指導者が必要です。私の経験からして「人前で恥をかいて」初めて人は成長していくのです。もしもあなたの近くに、「虎の穴」があるのであれば恐れず飛び込みましょう。指導者が見あたらない場合は、有志で集まり輪読会を行うのも良いでしょう。「継続は力なり」です。

なお、ここに書いたノウハウを誌上で再現するのは大変難しいため、Brain Storming in Ehime にて Inferno の解説文書を教材にした抄読会を行う予定です。

Google に見る日本と諸外国における情報教育の違い 2002/06/26

日頃、Google を使い検索を行っていると面白い事実に気付くことがあります。例えば先日紹介した Inferno で検索を進めていくと、ヘルシンキ大学計算機科学科のコースで用いられている講義資料 "An analysis of Inferno and Limbo" に出会いました。97 年に作成されたものですが、非常に良くまとまっており、Inferno の開発背景を詳細に説明した上で、Java と比較しながらその特徴を紹介しています。開発会社自身が公開している Inferno 技術文書よりも、遙かに深い考察がなされており、勉強になります。これだけハイレベルかつ実践的な授業を受けることが出来るヘルシンキ大学の学生さんは、幸せ者と言えるでしょう。

また先日 PC-AT 互換機のキーボードLED表示とスピーカー出力制御の方法を調べていると、そのものズバリのページをフィンランド Oulu 大学コンピューター学科のコース課題例の中に発見。タイトルは "Programming the PC/AT Keyboard LEDs"。この他にも、世界中の情報工学科の授業でキーボードコントローラーや 8253 (インターバルタイマー)の制御方法が授業の題材として用いられていることが分かります。

ところが・・・。同じ検索を「日本語」で検索するとヒットするものは皆無です。私は、この事実は日本における「情報教育」のお寒い状況を如実に現していると思います。日本の大学もしくは専門学校の教官に 8253 の話をしても、恐らく「何それ?」という答えしか帰ってこないでしょう。海外には、CPUの講義を受け持つにしても周辺LSIの制御まで論じることが出来る教官がいます。つまり、教える本人自身が「System programming の能力」を持ち、なおかつ「その面白さと重要性」を知っているのです。日本であれば、無味乾燥で面白みも知的刺激力もない教科書が用いられているというのが、関の山でしょう。ここが、日本と諸外国における情報教育の決定的な違いです。

今の日本はITバブル。小学校や中高校にパソコンを配備し、情報教育で盛り上がっているようです。しかし、「指導者」たりえる人材が大学ですら不足している状況では、税金の無駄遣いに終わってしまうでしょうし、日本と欧米の格差は益々広がってしまうのではないでしょうか・・。

そういう不安を抱えながら、あーでもない、こーでもないと逡巡した末に辿り着いた、新しい試みが GCC プログラミング工房で近々スタートします。果たして海外の教官達に近づくことが出来るでしょうか?

Inferno: UNIX / Plan 9 を継ぐもの 2002/06/12

何と5カ月ぶりのアップデートになってしまいました。今回は栄光ある米国ベル研究所が生み出した次世代OS&開発環境である Inferno システムを紹介しましょう。

私は UNIX の内部構造が理解できるにつれ、その限界も痛切に感じるようになりました。UNIX には、ファイルはもちろんデバイスも含め、全てのものを open/read/write/close システムコールを通じて統一的に操作するという設計理念があります。この思想は最近の UNIX ブームで見事な実を結んだ訳ですが、一方で UNIX にはネットワーク操作だけは例外的に処理するというアキレス腱がありました。一般的に「UNIX はネットワークに強い」というイメージがありますが、内部を覗いてみるとそうではないことが分かります。例えば、/dev/ ディレクトリの一覧を見てみましょう。/dev/hda, /dev/mouse, /dev/cdrom などのデバイスノードは存在しますが、/dev/eth0 は見つかりません。ネットワークインターフェースだけは別扱いになっているのです。

またネットワーク・プログラミングでは、通常の open/read/write/close だけではなく、socket, accept, listen などのソケット操作が新たに必要になります。SUN が Network File System (NFS) を実装する際に、既存のファイルシステムと整合性を保つために Virtual File System (VFS) を用意する必要があったことも、UNIX とネットワークが乖離している事を示しています。

UNIX を生み出したベル研究所 Computing Sciences Research Center (CSRC) は、この「アキレス腱」を乗り越えるべく、新しいネットワーク指向の分散型OS「Plan 9」を開発しました。Plan 9 では全てのリソースがファイルとして取り扱われる結果、端末はファイルサーバーはもとより、「CPU サーバー」とも結びつくことが可能になります。ユーザーはネットワークに接続された「全て」のものを、透過的にファイルとして扱うことが可能になった訳です。もはや、ファイルや CPU 資源が「ローカル接続なのか、それともリモート接続なのか」、アプリケーションが意識する必要はありません。PC-UNIX で実装されている proc file system (Linux では /proc/ディレクトリ)も、Plan 9 の影響を受けています。

しかし、この先進的かつ実験的なOSが世の中に広く受け入れられることはありませんでした(少なくともこれまでは)。ベル研究所の所属はAT&Tからその公開企業であるルーセント・テクノロジー社に変わり、従来の基礎研究だけでなく商業応用も睨んだ開発に重点が置かれるようになりました。その成果が、満を持して発表された Inferno なのです。それにしても、なぜ「地獄」なのでしょう?そのパッケージはおどろおどろしい、血の赤色と黒を基調にしています。実はこれには深い意味が隠されているのです・・。 < 続く >

日本における Reviewing 2002/01/15

これは新しい情報ネタではないのだが、気になることがあるので紹介しておこう。最近「レビュー」という言葉をよくみかけるようになった。この背景には Amazon.com のようなオンラインショッピングで行われているレビュー・システムの影響もあるのだろう。しかしである。どうも日本ではこの言葉の意味が完全にはき違えられているようなのだ。

レビューを専門用語で訳せば、「査読」になるのだろうか。これは私の本業である研究職の人間には身の毛もよだつ言葉の一つである。というのも、私達が丹誠込めて仕上げた論文を学術雑誌に投稿した際に「けちょん、けちょんにこきおろされる」のが、まさにこの査読という作業だからだ。一般には余り知られていないが、投稿した学術論文が一発で受理されることはほとんどない。実験の不備、論理の矛盾、文章のまずさ、など複数(通常2〜3人)の査読者からそれはそれは手厳しい指摘を受けるからだ。査読者は論文の内容に精通している同じ分野の研究者から選ばれる。つまり、「査読者はその道のプロ」である。

さらに細かく台所事情を説明すると、この査読の前にもうひとつ「エディター」という関門が存在する。学術雑誌にも色々あるが、一流誌ともなると全世界からの投稿数はかなりの数に上る。昨今は研究の世界も独立法人・民営化に向けて業績至上主義であるから、教授陣は自らの存続をかけて、より評価の高い一流雑誌に挑戦するからである。もうお分かりと思うが、雑誌に投稿論文が到着した時点で、エディターと呼ばれる大御所の先生が、「これは本雑誌に掲載する価値がありそうかどうか一瞥する」、つまりふるいにかけるのである。ということで、内容がエディターの興味を惹かなければ査読どころか「門前払い」になってしまうという訳だ。運良く査読に回っても、3人から総攻撃をくらうか(Reject)、指摘された点について実験の追加を余儀なくされることは日常茶飯事である。もちろん、査読結果に納得できずエディターに「この査読者はなにも分かっとらん!」と電話で告訴する猛者もいるが、悲しいかな大多数の日本人研究者は泣き寝入り状態と言って良い。

いずれにせよ査読という作業は「執筆者と査読者の間の真剣勝負」である。しかるに、日本で巷に溢れているレビューアーの意見たるや「とっても分かりやすくて良いと思います」といった牧歌的文章ばかりなのはどういうことだ?これは読書感想文であって、査読では決してない。ここで、Review の定義を見てみよう(OXFORD Dictionary より)。

Review: An examination of something, with the intention of changing it if necessary.

赤字の部分をよく読んでほしい。「改変の必要や間違いがあれば適切な修正を施す」のが Review なのだ。よって査読者は日本のマスコミのように文句を言うだけでは失格、単なるおべんちゃらに終始してもダメ、具体的に修正できるだけの力を持っていなければならない。学術論文の査読者としてプロ中のプロが世界中から選ばれるのは当然と言えるだろう。私はこのような査読システムは学術雑誌特有のものかと考えていたのだが、どうもそうではないらしい。お勧めの書で紹介した Linux Firewalls の著者 Ziegler 氏も、査読者には随分泣かされたとメールに書いていた。米国では商業誌と言えども厳しい査読が課せられるようだ。「適切な査読が原稿に反映されれば、より明快で分かりやすい作品に仕上がり、結果として売れる」という事実を米国の出版社はよく理解しているのである。日本の出版社そして技術者は、なぜ米国からあれだけの数とボリュームを誇る世界的テキストが次々生まれているのか、その背景を冷静に考える必要があるだろう。

Linux on the SHARP Zaurus SL-5500 2001/12/10

日頃調べた情報の備忘録をかねて本ページをスタート。まどろっこしいので丁寧体は使わない。多少、ガラが悪くなるかもしれないがご勘弁を。「カーネルの森へ」ではいかに目的の情報に到達するかをテーマにして不定期連載を始めたが、こちらはその実践編だ。

記念すべき第一号は「SHARP Zaurus USA 版にLinux が搭載される」という先週のニュースをお題にして、私なりのデータ収集を行ってみた。

既にSL-5000Dという開発者向けのマシンが$399で売り出されている様子。気になるSL-5000DのCPUはStrong ARM、Linux packageは組み込みで有名なLineoEmbedixらしい。Lineoとくれば、デベロッパーの頭に浮かぶのは何と言っても BusyBox だろう。BusyBox は組み込み機器用に百数十を越えるプログラム群をコンパクト化し、single binary 化したものである。ls/cat/pwd/cmp/sh などのツールは単一のプログラム busybox へのリンクで実現される訳だ。余り知られていないが、Debian/Red Hat/Slackwareなどを始め数々のディストリビューターが BusyBox の恩恵に預かっている。BusyBoxは開発初期からx86以外ではStrong ARMに対応しており、「なぜARMなのか」私は不思議に思っていたのだが、今回のニュースを読んでその理由が垣間見えたように思う。

このプロジェクトは Erik Andersen氏を中心に進んでいる。同氏はLineoに雇用されていたが、つい最近レイオフされてしまった。「しばらくは貯金で食いつなぐ」 ということで、ホームページ上では募金が募られている。同氏が同時進行させているオリジナルCライブラリー uClibc も、開発者の間で注目されている作品だ。私は Embedix の中身は知らないが、おそらく BusyBox/uClibc はかなりのウェイトを占めているものと思われる。なぜ、これほど優秀な人材を放出してしまったのか、真相は闇の中・・。

http://developer.sharpsec.com/
http://www.linuxdevices.com/articles/AT2134869242.html


Comfortable English 2002/01/23 旧「カーネルの森へ」にて掲載

コンピューター英語をきっかけとした私の英文との付き合いはすでに20年近くなりますが、ここ最近ようやく分かってきたことがあります。それは「アメリカ人と言えども、全員が良質な英文を書ける訳ではない」という事実です。 私達日本人でも同じ日本語とはいえ、個々人の文章の質には雲泥の差がありますね。 当たり前と言えば当たり前の事実。しかし、意外と意識されていないのではないでしょうか?

私は英文初学者がまず最初に学習すべきことは、この事実ではないかと考えています。というのも、私自身がこの知識を持っていなかったために、随分余計な回り道をしてきた経験があるからです。

今の時代、技術英語が読めるかどうかは技術者にとって死活問題です。オンラインで出回っている膨大なページの中から、自分が真に必要としている文書を選び出し、そのエッセンスを抽出。自分なりに情報を消化し、生きた知識として大脳に固定化しなければなりません。この一連の作業の中で最も重要になるポイントはなんでしょうか?そうです、一にも二にも「優れた技術文書」をリソースとして選ぶことです。言葉は悪いですが、決してカスを選んではいけません

優れた英文技術文書とは、情報が正確に誤りなく書かれていることはもちろんですが、もっと大切なことは英文として読みやすいものかどうか、「Comfortable English」であるかどうかです。日本語に訳すと「気持ちの良い英文」という意味になりますが、この表現には「学歴のあるアメリカ人は論点を簡潔かつ明快に表現することを comfortable と感じる」という背景があります。

ここで問題になるのは「学歴のある」という限定語が付加されている点です。皆さんは「学歴」という言葉を耳にして、どのような印象を持たれますか?私は日本の風潮として、どちらかと言えばタブー、もしくは嫌みな言葉と捉えらているように思います。「人前でそんな言葉をむやみに使ってはいけません」という感じでしょうか。これは日本人の多くが、学歴の価値を社会の中でステップアップしていくための手段としてのみ捉えており、その教育的意義を見失っているからでしょう。

また面白いことに日本で高学歴と言えば「○○大学卒業」を意味していますが、欧米では学位取得者(Ph.D.; Doctor of philosophy)を指します。学歴社会と言われる日本ですが、蓋を開けてみると一流企業と言えども採用しているのは大卒がほとんどです。一方、欧米企業は多くの博士号所有者を雇用しており、「日本企業の低学歴現象」を指摘する経済学者もいます。それではなぜ欧米の企業は高い給料を払ってまで、Ph.D. を採用するのでしょうか?

私の憶測ですが、企業の評価のひとつには本人が Ph.D. を取得する過程で徹底した writing/public speech/presentation のトレーニングを受けている点があるのではないかと考えています。つまり、自分の考えを簡潔かつ明快に表現できる能力です。私のつたない経験からしても、このようなトレーニングを存分に受けることができるのは、大学院しかありません。大学院で徹底したスパルタ教育を受けたアメリカ人の学術論文は、本当に素晴らしい。もちろん全てとは言いませんが、たまに読んでいて思わず溜め息がもれるような「comfortable English の名作」に出会うことがあります。

誤解なさらないでほしいのですが、comfortable Enlglish とは文章のことだけを指しているのではありません。論文の構成、論理の明確さと正しさ、話の展開、起承転結、これらすべてが水が流れるごとく自然に読者に受け入れられる文書のことを表現しているのです。このために、アメリカの一流研究者は推敲に推敲を重ねると聞きます。「学歴のあるアメリカ人」は高学歴を裏付けるだけのトレーニングと技術、そして絶え間ない努力の上に成り立っているのです。

こういう背景を踏まえながらコンピューター英語の世界を観察すると、首をかしげざるを得ないような状況に出会います。この傾向は特にオープンソース界で激しく、中でも Linux 関連文書は最大の問題児です。例えば Linux について情報を求める人達は、まず最初に Linux Documentation Project (LDP) の HOWTO 集を手に入れることでしょう。Linux カーネルソースツリー内部の Documentation ディレクトリに納められた文書も参考にされるかもしれません。しかし、私の目から見るとこの中の大多数の文書は「非常に読みづらいし、著者が何を言いたいのか分からない」のです。これまで読んだ中で、「うん、これは comfortable English だし、タメになった」と実感できたのは "Bootdisk HOWTO" ぐらいしかありません。

難解な文書の著者の多くは、学術論文を書いた経験がない、もしくは writing に関するトレーニングをほとんど受けていないのだと私は考えています。我流のスタイルで書き下ろしているために、英文に無駄が多く論旨も不明瞭になっているのです。問題はこのような未熟な文書群が、野放しになっているどころか、次から次へと増殖している点です。日本では、さらに和訳というフィルターがかかります。ボランティアーの手になる文書ですから、責任を問う訳でもなく誰も敢えて酷評しないのでしょうが、若い人達への影響を考えると事態は深刻です。

よって、日本で後輩を指導する立場にある人達は、まずは「良書のリスト」を示してあげることが必要でしょう。英文読解力が未熟なうちは、英文の善し悪しが判断できないからです。「この英文の意味が分からないのは自分の英語力が未熟なせいだ、もう1回読み直そう」と、悪文相手に苦労している技術者はかなりの数に上ると思います。私自身、どれだけ無駄な時間を費やしたことでしょう。

美術、音楽そして料理と同じく、自分の中に「文章のリファレンス」を持つことが大切です。

IBM-PC そして英語との邂逅 2001/12/24 旧「カーネルの森へ」にて掲載

私が IBM-PC に出会ったのは、今を遡ること・・何年でしたっけ。20年?まぁ、細かいことは良いのですが、当時の日本はパソコン通信の黎明期でした。ところが、肝心の通信ソフトが手に入りません。市販品がいくつかありましたが、値段は当時で数万円以上!とても個人で購入できる訳がなく、もっぱら雑誌に掲載された BASIC 版ターミナルプログラムが利用されていました。しかし、このプログラムがあまりに低機能かつ不安定で困っていたところ、米国のユーザーは IBM-PC 上で最先端の通信プログラムを利用しているという紹介記事を読みました。

当時はようやく NEC PC-9801 が国内に広まりかけていた時期で、IBM-PC のような舶来品は田舎町のショップではお目にかかれませんでした。このため、米国の IBM-PC ユーザーズグループから通信ソフトの入った5インチのフロッピーディスクを慣れない英文メールで送り取り寄せたものです。ここで出会った最初の舶来ソフトが、故 Andrew Fluegelman 氏が作成した PC-TALK です。PC-TALK は全文 BASIC で記述されたプログラムでしたので、ソースリストの読みにくさは筆舌に尽くしがたいものでしたが、ひたすら時間をかけ、ダンプリストが書き込みで真っ赤になるまで解読したものです。

解読の過程で、BASIC での RS-232C 回線の制御法、ログ記録、ファンクションキーマクロ、などのノウハウを吸収すると共に、解説マニュアルとの格闘が始まりました。当時、1ページを読み進めるためには辞書と首っぴきで1時間以上要していたと思います。これは今思い出しても大変辛い作業でしたが、「新しい知識を知りたい」という好奇心が苦労を遙かに上回っていました。PC-TALK の解説マニュアルの読破が終わると、次は既に米国で大流行していたファイル転送プロトコルXMODEM仕様書に取り組みました。こうして、仕様書やソースリストを読んでは、その知識を PC-9801 にフィードバックしてコーディングしていくという日々が続きました。この過程で生まれたのが、SKYTALK、そして SKYFREE です。結局、IBM-PC 自身には一度も触ることなく、ソースリストと技術文書だけを相手に数年間過ごしたと思います。

この数年間の作業は全て独学によるものでしたが、今の私のバックボーンを形成した大変かけがえのない時間でした。また、それまでの私は「日本」という国を意識したことはありませんでしたが、IBM-PC のコンソール画面と、豊潤なソフト/技術文書の世界を通して、初めて「米国」と自分の祖国の違いを思い知らされました。この時感じたカルチャーショックは今でも解消されていないように思います。未だに日本と米国では、「層の厚さ」が天地ほども違うからでしょう。

だからこそ、今の日本の技術者・学生にも英文を読みこなす技術は必要不可欠なのです。英文を書いて話せればもっと良いのですが、まずは「読む」ことから始めましょう。最初は誰しも時間がかかります。私も1ページ1時間でしたから。しかし、この苦しい基礎トレーニングなくして、読めるようには決してなりません。読めないということは、最新の技術を習得できないということと同義語です。昔の高僧は、中国で漢字に「意訳」された仏典ではあきたらず、サンスクリット語の原典を求め、命を賭してまで天竺に赴きました。ネットワークが発達した現在、私たちは命を賭けるどころか、お金もかけずに最新のソースリストや文書を手に入れることができます。本屋では1年も立たないうちに、海外で出版されたテキストの和訳本が発売されるようになりました。しかし、これらの和訳文書は「意訳」どころか「誤訳」されたものが珍しくありません。良書と呼ばれる作品には原著者の spirit が息づいているものですが、その魂を感じるためには、原書を読むしかないのです。

情報はどこに? 2001/12/09 旧「カーネルの森へ」にて掲載

このサイトを訪れた方から時折「この情報はどこで見つけたの?」という内容のメールを頂くことがあります。その度に「いや、どこにも書いてありませんでした。自分で見つけたのです。」とお答えしています。

どうも数多くのプログラマーは「自分が知りたい情報はどこかに書いてあるはずだ」と考えているようです。それは書店で売られている書籍であったり、ネット上で流れているオンライン文書なのかもしれませんが、私の経験からして「本当に知りたいことは書いてない」のです。そういう意味では、教科書と呼ばれている類が一番たちが悪いのかもしれません。私たちは知識を求め、本屋で高いお金を払い教科書を手に入れます。書店にはベストセラーと呼ばれる本が山積みされていますので、多分売れているのでしょう。売れているのなら、わかりやすく求める情報が書いてあるに違いありません。でも、残念なことにほとんどの場合はそうではないのです。

大切なことはどこにも書かれていない」、これはコンピューター、医学、生命科学など分野を問わず普遍的な真実であるようです。私は人様に比べるとかなり長い期間教育機関に身を置いてますが、これまで誰一人としてこの事実を教えてくれる人はいませんでした。真の知識を求め大海原に出るためには、まずこの事実を冷静に認識することが大切です。


Your SysOp is Wataru Nishida , M.D., Ph.D.